2023年2月13日10時半ごろ、ヌーディーが他界しました。
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2月11日の朝から体が痙攣、目の焦点が合わなくなり、病院に連れて行きました。
レントゲン調査では特に異常が見当たらず、かかりつけ医は「脳が怪しいのでは」と言うことで、翌日に府中にある救急センターに担ぎ込みました。
ここで1日MRIや血液検査などの精密検査を行い、おそらく鼻や耳、歯から細菌かバクテリアが侵入し、それが左耳の後ろで腫れを起こしている、ということまで分かりました。
まずは治療として、抗生物質を投与して腫れを引かせることになりました。
医者はその日は病院に留まるように言いますが、私の判断で家に連れて帰りました。
そして翌日の2月13日。
朝7時のお薬は普通に飲めたものの、9時ごろからだんだん様子がおかしくなりました。
呼吸が荒くなり、1秒ほど停止してしまう。
どうしようか、病院に連れていこうかと思ったものの、月曜日の勤務時間ということもあり、私は在宅で仕事をしなくてはいけない。妻は赤ん坊の世話をしなくてはいけない。
そして10時半、完全に息が停止しました。心配蘇生も間に合いませんでした。
すぐに病院に連れて行き、エコーをとりましたが、すでに息絶えていました。
直接的な死因は、腫れが口の中にまで到達し、気道を塞いだことによる窒息死。
医者もまったく予想しないほどのスピードで腫れが膨らんでいました。
話によると、ほとんど聞いたことがない珍しいケースだとのことでした。
もし私が日曜に、病院に預けていたら、もしかしたら窒息死はなかったかもしれません。しかし医者の予想を上まわるスピードで拡大する炎症を、ただちに止められたかというと分かりません。回復の見込みはなかったかもしれません。そう考えたら、苦しい時間が短かったこと、大好きなお家で逝けたことは幸いだったのかもしれません。
そういうふうに考えるしか、私も心を保つ方法がありません。
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2月14日、お寺でお経を読んでいただき、ヌーディーの遺体を火葬にしました。
ヌーディーの好きだったおやつ、よく来ていた服、「子どもが成長して使えなくなった時に君にあげるよ」と約束していた綿のクッション、写真を一緒に焼きました。
お骨は家に連れて帰りました。
妻が言うには、一部ジュエリーに加工し、一部はタイに持って帰ってチャオプラヤ川に撒きたいとのことです。ヌーディーが生涯の半分を過ごしたので、タイに一部散骨するのはいいアイデアだと思います。
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家のあちこちに、ヌーディーとの思い出があります。
家の外に出ても、あそこはいつもおしっこをしていたところ、一緒に自転車に乗って公園に行った道、いつも可愛がってくれるおばさんがいるところ、などなど、思い出がつきません。どこに行って何をしてもいろいろ思い出されてきて、本当につらいです。
気持ちが沈んでしょうがなく、回復するには少し時間がかかるかもしれません。
何か前向きに進めるようなきっかけがつかめるかもしれませんので、もう少しこのブログに気持ちを整理してまとめたいと思います。